昨日、幼い孫娘から「ジイジ~タブレット立て作ってぇ~」
満面の笑顔で甘えられては、作らずにいられません。
そりゃあ孫は、目の中に入れようが、どこに入れようが痛くもなく可愛い限り。
もちろん、親として子が可愛いのはどなたも同じ。
通常の親なら、自分の命を捨ててでも子を守りたいと思うもの。
毎日の生活では気が付かないかもしれませんが、
子を亡くした親の気持ちは、それこそ雑巾を絞るがごとく内蔵を絞り上げられるような・・・
切ないとか悲しいなどという表現できるレベルではない、
想像を絶するとんでもない苦悩があります。
どこかの尼さんは、テレビ番組で子をなくして衰弱している方に
年月が解決するとおっしゃいましたが、
それはその経験がない方の言葉です。
我が子は5年前に天国へ旅立ちましたが、
今も私達夫婦は、あの日のあの瞬間のまま何も変わりません。
親の愛は想像を超えた深いもの。
孫に対する愛も同様ですが、我が子が成長して愛らしさが遠のいたときに
愛くるしい赤ちゃんが孫として生まれてくるのですから
そりゃあもう表現出来ないほどの可愛さです。
このような人間愛を相互に示すことができる人間のレベルならば、
この世の中に犯罪などおきないでしょうね。
戦争も起こらないでしょうね。
木は、表情があります。
質感もやさしいです。
木目やふし、肌の色艶、、、
木は、人を穏やかにし、笑みをもたらします。